ホイールメーカー 株式会社 東京車輪はトラック、バス用ホイール「TKW」「TMF」を中心に
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日新出版刊 ニュートラック誌 2008年9月号より
こんな時代だからこそトラック用スチールホイールに光を

(株) 東京車輪 船戸和男会長に聞く
日本のホイール業界の現状と中国製ホイールの新展開

今月号では、トラック用タイヤを特集しているが、考えてみれば、タイヤに付き物のホイールの話は、これまで余り記事にしたことがなかった。アルミホイールについては何度か取り上げたことがあるが、スチール製のホイールについてはほとんど皆無と言っていいかも知れない。ところがスチール製のホイールが、今や大変なことになっていたのである。もはや日本でトラック用スチール製のホイールをつくるメーカーは1社だけになってしまったのだ。1社独占というのは健全なことではない。そこには日本の製造業の危うい現状が垣間見えるような気がするのだ。日本のホイールの歴史を見つめ続けてきた日本のホイール業界の重鎮・船戸和男(株)東京車輪代表取締役会長に、日本のホイールの現状と展望を聞いた。

誰も知らなかったトラック用スチールホイールの話

(株)東京車輪という社名を聞いてもピンと来る人は少ないかもしれない。しかし、日本の自動車産業の黎明期である1935年に、小野寺製作所の商号でT型フォードその他のリムの製造販売を開始して以来、70余年にわたって自動車用車輪一筋に社業を重ねてきた同社は、まさに日本のホイールの草分け的存在であり、タイヤメーカーとその販社、同業他社、大手量販店のOEMも数多く手がけていることから、東京車輪の製品は意外と身近なところで使われているのだ。1949年・1954年の二度の社名変更を経て、1991年に現社名となり今日に至っているが、その東京車輪の代表取締役会長として御年78歳の現在も業務に実力を振るうのが船戸和男氏である。船戸会長は、1972年に設立されたアフター市場向けの自動車用軽合金ホイールの業界団体であるJAWAの初代会長に就くなど、業界のまとめ役として尽力している。その船戸会長の話である。

「私は、終戦の翌年の1946年からこの仕事に入りましたが、当時は日本のホイールメーカーは1社だけでした。尤も当時は自動車もほとんど造られていなかったから1社で十分まかなえたのですが、トラック用のスチールホイールに関して言えば、現在日本で製造しているメーカーは1社だけになってしまいましたから、また元に戻った格好ですね。トラックの販売台数が半分になっても、台数が多かった頃と同じ値段で納入しているのだから、儲かりっこありません。トラックメーカーは仕入れの値段を叩きに叩きますからね。そこで今から5~6年前に、3社のうち2社が止めてしまって、1社だけになってしまいました。1社独占になると、どうしても弊害が出てきます。売り手市場ですから、トラックメーカーなどの大手企業は別でしょうが、中小の架装メーカーや産業車両、農機メーカーは言い値で買うしかないし、無理な注文はなかなか聞いてもらえない…。これは健全なことではないですね。

そこで私は、中国に着目したんですよ。日本の技術を入れて中国で製造したら、低コストのスチールホイールが出来るのではないか。実は弊社はホイールの海外生産のさきがけでして、今では東南アジアなどのアルミホイールメーカーへの発注は業界では常識化していますが、昭和50年代にはすでに台湾のメーカーとジョイントし製造させていました。ただ、台湾には大型用スチールホイールのメーカーは無いので、中国に着目し、あの広い国土を探し回ったのですが、1つ2つ国営の会社で造っている会社がありましたよ。だけど、中国は未だにウィズチューブのタイヤが主流の国でしょう。これがまた時代遅れの設備で、終戦後の日本と同じようなやり方で造っていました。『これは駄目だな』って思いましてね。私はお世辞を言うのが嫌いだから、向こうのお偉いさんに、はっきりとそう言ったんですよ。そうしたら、『どこが駄目なのか?』と言うから、『これこれが全部駄目』と指摘してやりました。すると、今度は向こうが勘違いしましてね。私をスゴい技術者と思い込んじゃって、『それでは何とか改善したいので、是非指導してくれ』。私は技術者じゃなくて営業畑なんですが、それなりに勉強しましたから、それなりに技術のことも分るんですよ。そこで日本から技術者を連れて行って、一から指導したのですが、これもなかなか大変でした。何しろ管理と名のつくものに理解がない。日本では1000個に1個不良品があったらアウトですが、中国では『1000個に1個や2個駄目なものがあったって、そんなの当たり前』といった感覚ですから、その意識から変えなければなりません。はじめは2~3年くらい掛かると見ていましたが、何とか満足できるレベルになるまで4~5年掛かりましたね。2002年からようやく販売を開始し、現在は順調に販売を伸ばしています」。

中国製=粗悪品のイメージを打破 東京車輪の今後の展開

しかし、かの「中国製」である。日本市場での評価が気になるところ。東京車輪では、もちろん「産地偽装」などせず、お客さんには中国製であることを納得した上で買ってもらっているが、市場ではなかなか好評だという。

「確かにホイールに限らず、中国製と言うと『安かろう悪かろう』のイメージがついて回ります。しかし、国産品より良いとまでは言いませんが、品質的にもほぼ遜色ないレベルになりつつあります。価格的には国産より20~30%ほど安いですね。だから、『安いけれど品質もまあまだね』といった評価をいただいておりまして、リピートのお客さんも大幅に増えております。もちろん、まだ技術指導は続けておりますので、もっともっと品質は良くなると思います。また、2003年からは台湾製のトラック用鍛造ホイールの販売も開始しました。まだ、それほど数は出ていませんが、例えばスーパーシングル用のアルミホイールなども開発していますので、これから徐々に市場に浸透してくると思います」。

東京車輪が手がけているホイールは現在、乗用車用が7割、トラック用が3割といった割合だが、これを近い将来半々くらいにもっていこうと船戸会長は目論んでいる。これは日本のトラック用スチールホイールが、前述の国産の1社のほかには大手タイヤメーカーが輸入販売している製品があるだけなので、そこに商機があると見ているからである。アルミホイールが全盛の乗用車用では、「鉄チンホイール」などと称され、やや蔑まれるキライのあるスチールホイールだが、トラック用ではまだまだ趨勢である。従業員数18名の東京車輪が主戦場とするには、ちょうどいいマーケットであり、むしろ海外生産のホイールのさきがけとしてのノウハウが生きると見ているからだ。東京車輪はOEM供給している製品も数多く手がけるが、それについてはこうコメントする。
ホイールには、OEMとアフター市場がありますが、ホイールメーカーにとってOEMが基本なんです。だけどOEMは、うるさいこと言われるし、儲からないから、みんな嫌がるんですよ。アフターマーケットはその逆で、お客さん受けし、何しろ見た目がカッコよければいい…。つまりOEMの逆で、楽に儲かる市場なんです、だけど、OEMをやらないと技術レベルは上がらない。アフターをやっている会社は、誰もチェックしないから、技術レベルは下がるばっかりなんです」。

それは、かの「中国製」についても同じことが言えるかも知れない。高い技術と見識を持った人間が指導・教育し、絶えずしっかりとチェックすれば、自ずとレベルは高まるはず。ホイールに関して言えば、日本が1ヶ月かけて製造する数量を1日足らずで製造するのが中国であるから、スケールメリットでは勝負にならない。船戸会長の目指す日本の技術指導による「中国製」は、コストと技術のいいとこ取りなのだ。船戸会長は東京車輪の将来のことを言えば、「ホイールの材質が鉄やアルミから炭素樹脂にかわるんじゃないかって、私は見ているんですよ。軽くて強いでしょう、それを可能にする高い技術力を日本は持っていますからね。今は価格が高いけれど、先日、炭素樹脂メーカーの人と話したら、炭素樹脂はリサイクルが効くそうで、まだまだ安くなる余地があるそうです。私の目の黒いうちは無理かもしれませんが、いずれ炭素樹脂のホイールの時代がやってくると見ているんですよ」。

ホイール一筋60年、まだまだ夢のある船戸会長であった。


※この記事の掲載については、日新出版の諒解をいただいています。